物流業界の健康とリスク管理
〜人材確保と企業価値向上の鍵として
物流業界では、トラックドライバーや倉庫現場作業者の人手不足が今後さらに深刻化することが確実視されています。さらに、運送事業では行政処分の厳罰化、倉庫現場においては熱中症対策の義務化など、安全管理への法的責任も一段と強化されています。ひとたび事故が発生すれば、企業の事業継続に直接的な影響を及ぼすリスクが高まっており、従業員一人ひとりの健康や働き方に配慮した取り組みの重要性が、かつてないほど問われています。
国土交通省の報告によると、平成25年から令和4年までの10年間で、健康に起因する事故を起こした事業運転者は2,778人に上り、そのうち心臓疾患、脳疾患、大動脈瘤及び解離が31%を占めています。また、死亡した運転者470人のうち、心臓疾患が54%、脳疾患が11%、大動脈瘤及び解離が13%を占めています。
このうち、トラックにおける健康起因事故は、令和2年が105件、令和3年が110件、令和4年が106件と、毎年100件以上の事故発生が常態化しています。特にトラックの健康起因事故では、乗務の中断に至らないまま物損事故や人身事故を引き起こす割合が、事故件数の半数近くに及ぶのが特徴で、長時間運転による疲労蓄積、睡眠不足、ストレスのほかにも、日常の管理体制の不備が、事故の引き金となることがわかります。
厚生労働省の発表によれば、令和6年の労働災害による死亡者数は746人と過去最少となったものの、休業4日以上の死傷者数は135,718人と4年連続で増加しています。 特に、陸上貨物運送業においては、令和6年度の死傷災害発生数は16,292件と前年比0.5%増加している状況です。「第14次労働災害防止計画」では、令和4年比で5%以上の減少を目標に掲げており、その達成に向けてより厳しい目で事業者の対応が検証されるはずです。
取り組みの具体化は日々の取り組み見直しから
では、どのような取り組みが事故防止と健康支援に実効性をもたらすのでしょうか。主要な取り組みとソリューションを確認してみましょう。
▪️定期検診など日常の健康管理
まず何よりも健康起因事故を防ぐ基本となるのは、定期健康診断や日常の点呼業務によるドライバーの体調把握です。運行管理者がドライバーの些細な異常に気づける体制を整えることが、管理の質を左右します。
睡眠時無呼吸症候群(SAS)や心臓・脳血管疾患などの兆候は、日常のコミュニケーションの中で把握・対応することが重要です。必要に応じてスクリーニング検査を実施し、補助制度を活用することも検討に値します。こうした積み重ねから、今足りないものが何か、より具体的なソリューション導入を検証することができ、実効性ある健康管理体制を支える基盤となるのです。
▪️ウェアラブルデバイスなどで効率的なデータ管理
管理業務においても人手不足は大きな課題です。その実効性を損ねることなく業務効率化することも、事業継続においては重要です。健康状態のデータ可視化とモニタリングの強化は、効率化とともに管理の精度向上にもつながる取り組みです。近年では、ウェアラブルデバイスを活用して、運転中の心拍数や眠気、疲労度などをリアルタイムで計測し、異常があればアラートを出すシステムの導入が進んでいます。点呼記録を紙管理からデジタル化し、体調申告と自覚症状の記録を行うことで、管理者が個々のドライバーの状態を把握しやすくすることも、健康管理の実効性を高めます。
▪️安全運転教育の精度と意識向上
交通安全教育、運転手のスキル向上も事故防止に不可欠な取り組みです。なかでも、AIドライブレコーダーによる客観的な運転評価とフィードバックが、ドライバー教育において有効性を発揮していることが報告されています。居眠り運転やわき見運転の兆候をリアルタイムで検知・警告するほか、記録された映像やデータを用いて本人と管理者が「納得感ある振り返り」を行える点が特徴です。従来の主観的な指導に比べ、説得力と継続性のある教育が可能となり、安全運転意識の向上に寄与しています。
▪️悪天候、事故、熱中症のリスク管理体制
また、見過ごしてはいけないのが自然災害や気象リスクへの備えです。豪雨、積雪、強風といった悪天候がドライバーを危険にさらす事例は後を絶たず、特に近年では気象の急変が激しさを増しています。集中豪雨による冠水で配送車が立ち往生し、ドライバーが長時間車内に閉じ込められる事故や、多くの車両が通行再開まで数日間の待機を余儀なくされた豪雪事例などは記憶に新しいのではないでしょうか。
こうしたリスクを未然に防ぐには、リアルタイムの気象情報と連携した運行管理が鍵となります。ドライバーの現在地と天候予報を連動させて、危険地域への進入を警告する配車システムや、気象庁の「キキクル(危険度分布)」と連動したアラート通知機能などの導入なども提案されています。加えて、災害時の判断基準を明文化し、「無理をさせない」「中断する勇気を与える」運行方針を現場に浸透させることが、真の安全文化の定着には不可欠です。社内の運行規定なども、現状に応じた見直しを進めておかなければならないでしょう。
倉庫現場などにおいても、夏季の熱中症対策が義務化される中、空調設備の設置だけでなく、作業スケジュールに「休憩の質と量」を組み込む制度設計が進んでいます。加えて、身体的な負荷を軽減するアシストスーツや、作業工程の自動化による負担軽減も着実に成果をあげています。こうした取り組みは単なるコストではなく、働きやすさの提供を通じて人材の定着を促し、現場力の底上げにつながる「投資」として位置づけるべきです。
▪️メンタルヘルスケア、福利厚生の充実
精神的なストレスへの対策も欠かせません。運送業では孤独な長距離運転や納期プレッシャーが大きく、メンタルヘルスの不調を抱えるドライバーも少なくありません。ある大手物流企業では、外部のカウンセリングサービスと連携し、24時間相談可能な体制を整えると同時に、管理職による傾聴研修を実施し、職場内での早期の気づきを促しています。こうした「気づき」の文化が、未然防止につながっています。事故・渋滞状況に応じた的確な運行指示ができる体制を整えておくことも、事故をなくすことにつながります。
福利厚生面でも、健康手当支給や多様な人材活用に向けた育児との両立支援など、ライフスタイルに寄り添う支援が「働きがい」の向上に寄与します。制度の整備と運用の実効性が、従業員満足度を高め、企業への帰属意識を強める好循環を生み出していきます。
・人こそが財産、信用こそが企業価値
これらの活動は、単にリスク回避のための「守り」の対策ではありません。企業の持続的成長に不可欠な「攻め」の基盤でもあります。ESG(環境・社会・ガバナンス)経営が重視される今、従業員のウェルビーイングを重視する企業姿勢は、顧客や取引先、投資家からの信頼を高め、企業価値の向上にも直結します。健康経営に積極的に取り組む企業は、採用競争力を持ち、離職率の低減や現場力の安定化においても有利に働きます。
運送業務においての健康管理の基本は、日々の運行管理業務、点呼業務が前提であることは前述しました。日本郵便の運送事業許可取り消し報道は、まさにこうした大前提を疎かにし、社会インフラとしての運送事業の信頼を失墜させる出来事といえます。人手不足や業務の煩雑化が、慣れや予断となってしまった事例を目の当たりにしてしまったことは、残念としかいいようがありません。遠隔点呼や自動点呼の導入などは、点呼業務の簡略化ではなく、より精度高く、効率的な運行管理の高度化を目指すもの。事業の基盤が、安全運転、コンプライアンスの遵守であることが、今一度問い直されています。
物流業界は「人」と「現場」が支える産業です。だからこそ、人に目を向けた制度設計と現場改善、そして気象・災害リスクへの備えの両立が、これからの物流企業の競争力を左右する鍵となります。健康を守り、働き方の満足度を高め、人が定着する現場づくりに向けて、今こそ企業ごとの実情に即した再検証と実行が求められています。